stillness

夜明け前の1時間は、ブラフマ時間。
人の活動だけでなくすべてがsubsideして源に近い静けさの中。

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しばしの間、ここにあるものすべてが淡いバラ色に染まる。
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ただ風がそよいでいて、静か。
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まっすぐ立っているだけで脊椎が内側から伸びて拡張してゆく。
すべてが完璧なハーモニーの中。

人は毎朝、生まれ変わる。
調和だけがあり、
にごりなく、
すがすがしさとはちょっと違う、
ただ安らか。

台風一過

朝方は爆睡してて大雨が降ったのに気がつかなかった。
昼頃からは清々しい風、出来ては消えながら流れる雲。
さわさわと草が揺れる音。
雨と風の恵み。
なんという清々しさ。

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午前中、瞑想アプリにある美しいチェロの演奏を聴きながら、この世界の美しさを想った。

過去を思うことはもうほとんどなくなったけど、たまに湧いてくる痛み。
人としてこの世界に生を受けた以上、後悔のない人生はないと思う。
表面的なポジティブでごまかすことをしないで、それに向き合う。
きちんと向き合った人だけがわかる感覚。
慈悲の心。

家族との日常のやりとりや仕事の時間にはそんなことも言っていられないけど、
ふと訪れる隙間に湧いてくるもの、それに気付き、誤魔化さない。


きちんと向き合うってどういうこと?

いくら外側に答えを探しても見つかることはない。
無理に答えを出す必要もない。
自然に消えてはまた現れる。
その過程に気付いていること。
心は物語を作るのが大好き。
それが痛みであろうとよろこびであろうと区別なく、
物語を作ってはそこにとどまろうとする。
なぜ?その方が楽だから。エゴが生き延びられるから。
これが執着のひとつのかたち。

この執着に気付くと、突然、謎が解けた感覚になる。
自分を囚われの身にしていたのは自分だと気付く。

突然な感じがするのは、流れ込んでくるエネルギー量が大きいから。
気付くことで大容量のスイッチがオンになる。
突然の幸福感や流れる涙。

大容量でなくても小さなスイッチが日々オンになっていればおだやかでいられる。
気づきの練習が、瞑想へのプロセス。

今、元気なうちは先のことと思うかもしれないけれど、
いつかは向き合う時が来る。
今世を終える時かもしれないし、次の生かまたその次の生か。

たまにはそんなことに思いを巡らせてみるのもいいかも。

今帰仁でヨーガ瞑想

水曜日は、ご縁をいただいた今帰仁のノロ殿内でヨーガ瞑想の講座をやらせていただきました。

集まってくださったみなさんが、とてもきれいな心と目で
とても真摯に受けてくださり、嬉しく、ありがたく感謝でいっぱいです。
私もますます襟をただして学びを深めていきたいと改めて思いました。
ヨーガは、宗教に関係ない、ユニバーサルでニュートラルな科学です。
体、心、エネルギー、意識を理論的に説明でき、
そして体験して腑に落とすことができる。
そして、その人の体験のレベルにあわせた理解を重ねて、
螺旋を描くように登っていく道。
この道に興味を持ってもらえる嬉しさ。

すでに内なる神、純粋意識としっかり繋がっている人でも、
いや、そういう人ほど謙虚で素直で人の話を聞く態度を持ちあわせている。
一流の人ほど、品格のある人ほどそうです。
これは、私がテレビ局時代に日本のトップ、世界のトップの人たちとお仕事させてもらった経験から言える確かなこと。

今帰仁のしあわせのお福分けさんが、この日のことをブログに書いてくださっています。
そして、
こちら も!

お福分けさんも、生まれ高い方なのにものすごく謙虚でいらっしゃる。
私もまだまだ学ばせていただくことばかり。
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今帰仁の空気はきれいだな〜。

今帰仁にて、瞑想ワークショップのお知らせ

(HPの方でもひっそりとお知らせしてますが、こちらでも)


直前になりましたが、ヨーガ瞑想ワークショップのお知らせです。

※少人数での開催のため、告知はしていませんでしたが、

もし、ピンときて参加されたいという方がいらっしゃいましたらご連絡ください。

日時:6月6日(水)午前10:00〜13:00 

場所:今帰仁ノロ殿内

内容:瞑想講座でお伝えしている内容のダイジェストとシンプルな瞑想体験。

   前半は、カフェスペースで講座、

   そのあと、敷地内にある神聖な木、龍眼の木の下で瞑想をします。

今年に入り、ふしぎとしか言いようがないお導きで、

畏れ多くも、今帰仁城跡のふもとにある参拝所「今帰仁ノロ殿内」にて

ヨーガ瞑想をさせていただくご縁をいただきました

こちらにお住いの今帰仁の歴代ノロさんは、琉球王国時代より今に至るまで

五穀豊穣、子孫繁栄、平和な日々であるよう祈りを続けていらっしゃいます。

それは並のことではありません。

そのような神聖な場でやらせていただく瞑想。

いっそう心してやらせていただきます。


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こちらにいらっしゃる龍神様、

そして日々祈りを捧げられこの場所を維持していらっしゃる方々に心から深く感謝です。

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静けさを慈しむ

ヒマラヤの聖者スワミ・ラマの言葉

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”目を閉じなさい。
そうすれば、はっきりと見えてくるでしょう。

聞くのをやめなさい。
そうすれば、真実が聞こえてくるでしょう。

静まりなさい。
そうすれば、ハートが歌いだすでしょう。

つながりを求めるのをやめなさい。
そうすれば、調和のなかでひとつになってゆくでしょう。

静かに立ち止まりなさい。
そうすれば、魂の波とともにいられるでしょう。

やさしくありなさい。
そうすれば、強さは要らなくなります。

忍耐強くなりなさい。
そうすれば、すべてを得るでしょう。

謙虚でありなさい。
そうすれば、あなたは全体としていられるでしょう。”


スワミジは沁みることを言ってくださっているのだけれど
ひとつひとつの英語がシンプルなだけに意味が深くて
日本語にするとニュアンスが限定されてしまってそのままを伝えられないのだなあ。。

ひとつ

愛の反対はなに?

答え:

愛の反対は、ない。

愛は一元の源そのものだから、その反対はないのです。
愛に対象は必要ないのです。
愛は、与えるものでも受けとるものでもない。
与えたり受けとったりするものは愛とは別のもの。

じゃあ、子を想う親の愛は愛じゃないの?

なんの掛け値なしに、親が子をただ想うとき、
親と子は、ひとつになる。その状態が、愛。
愛は、ひとつ。
これがワンネス。
みな体験してる。わかってる。
気付けばいいだけ。

あたりまえの幸福

あたりまえなことがつまらないのは、そこに感謝がないから。

感謝があったら、あたりまえなことこそが幸福だとわかる。
一見、あたりまえにみえることに「おかげさま」が言える人は幸せな人。
(以前、久米島の友人が、あたりまえの逆はおかげさまって言ってた。)


ちなみに、「おかげさま」「ありがとう」は深いところから自然と湧いてくるもの。
ありがとう感謝してますと唱えましょうと言われて唱えるような表層的なものとは違います。


あたりまえを見ずして刺激ばかりを求める。
これは一種の中毒。
その中毒に気がついてない。
最近、”目覚めた” ”解放された” ”人目を気にせず好きなことをやってる” 人たちにありがちな感じがするなあ。
目覚めハイ、覚醒ハイ、みたいな。
ハイになるものは本物ではない。
本物ではないという意味は、
ハイがあればローもあって、のちに、必ず苦が訪れるということ。
これが自然の法則。
引き寄せとか、わかった”つもり”になってると犯しがち。
それに巻き込まれないように注意したほうがいいと思うけど、
まあ、そういう経験をしたい人たちはいっぱいいるから経験したらいいんではないでしょうか。

じゃあなんでこんなことを書くかというと、
たとえ少数でも、気がついて遠回りをする(苦を味わってやっと理解する)人が減ってくれたらなあと思うから。


ヨーガスートラⅡ-3,4,5にそれに関することがはっきりと書かれてます。
苦悩(過去現在未来にかかわらず)の原因は、無知、私という感覚(エゴみたいなもの)、愛着、憎悪、生への執着。
その中でも、『無知』はそれらの土壌となるもの。
無知とは、一時的なものを永遠と、不浄なものを浄と、苦を快と、本当の自分でないものを本当の自分とみなしてしまうこと。
(・・・ってな感じでまだまだ続く)



ではどうしたらその判断ができるか。
そのひとつが、瞑想で、観察する知性(心ではなく、知性)を優位に立たせる練習をすること。



もしくは、、苦を味わってどん底まで行って気づいて這い上がった後に、中庸を目指すか。
しかし、どんだけ苦を味わってもまだまだ気づかずに、
上がった時のハイの快を感じたくて、再び自ら苦を作り出してゆく。
これはかなりな中毒症状。
まあ、またこれも、本人が経験したくてやっていることなんでしょう。

その末に、なんのために生まれてきたのか、
そして、自分の本質に気づくことになるんだと思います。

人それぞれの道。
自分はどの道を行くのか。
どう在りたいのか。


と、ぐるぐると繰り返しになってきたところで、本日はこの辺で。

みなさま、素的な旧正月をお迎えくださいheart01

変わっていく世界

エックハルト・トールは、今、世界で生きてる人の中でいちばんわかりやすく「真理」を説明してくれてる人なんじゃないかと思う。
この淡々としてて可愛らしい小動物っぽい感じが大好き。
んで、この動画の最後に淡々とパンチのあることおっしゃっておって笑ってもうた。
私も彼の本『ニューアース』を発売すぐに買ったんだけど
心身ともに忙しくて内容も理解できてないまま本棚に置いてあった。
そして、一昨年のオーロビルでの瞑想や去年のラマナアシュラムでの瞑想、ヴィッパサナー瞑想、そしてヨガスートラの学びを続けたあとで読んだら、(もちろん日々の瞑想は基本)、めっちゃ納得腑に落ちるの連続で面白くて一晩で読めてしまった。


話は違うけど、
神って何?っていうのの説明もわかりやすい!
(説明できないって意味で)
それから、13歳でフリーエネルギーの装置を作っちゃったと話題になったマックス君の語る神も説明も面白い。
量子論と現代物理で、言葉を使って説明するのはこれが精一杯なのかもなあ。
私は神様は自然だと思ってる。
自然って言うと山や海は森や、、ってイメージがあるかもしれないけれど、そういう目に見える触れられる物質の意味ではなくて、それを構成している波動エネルギーみたいなもののベースにある法則という意味での自然という意味で、自然意識と言ってもいいけど、これは全宇宙の内外にあまねく存在している。もちろん個々の内にも。
そして100%の調和とこの上ない美しさがある(とというか、それも超えてるな。。)

さておき、こうやって宗教ではなく神やら真理やらについて語る人たちが
今は本当にたくさん表に出てきていて(結局は皆がほぼ同じことを言ってる)
実際に出会ったりもするし、面白い時代になってるなあと日々実感中。

静かな日曜。

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今日は海が静か。透きとおった水に惚れ惚れ。
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午後になって出てきた雲。
海は空を映す鏡だなあ。
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午後の静かな時間、ミサが終わって誰もいない教会。
この場所に座って心を内に向けると、今日も涙がじんわり。
生きている切なさ、痛み、よろこび。
心は外側に向かう癖があるから、
日々、自分が関わる人たちやメディアや身体といった外界ばかりに目が行き、
他人の行動や他人の目を気にし、
そういったものに反応する自らの感情にとらわれてしまいがち。
何かが違うと感じたら、
心の向かう方向を180°転換して、本気で内に向かう。
心の癖は頑固だから、簡単にはいかないかもしれない。
見ないようにしていたものと向き合わなくてはいけない時もくる。
けれど、我慢強く続けていると出会える 
「私はここに在る。I am here now」 というゆるぎない感覚。
深いところが満たされる。
何かが融けて涙がこぼれるかもしれない。

私はキリスト教徒ではないけれど、確かで信頼できるものがあるという感覚の中、
周囲を気にせず安心して静かに内に向かえる場所が町中にあるってすばらしいことだなあ。

イル テアトロ グレコ(ギリシャ劇場)とゲーテ

ドイツの詩人・劇作家・自然科学者のゲーテは、37歳の時、約2年にわたるイタリアの旅の中でシチリアにも滞在し、

「シチリアなしのイタリアというものは、我々の心中に何らの表象をもつくらない。
シチリアにこそ すべてに対する鍵があるのだ」
と書いているそう。(ゲーテ著『イタリア紀行』 私は読まないで来てしまった。。)
そのゲーテが、
「世界中のどんな劇場の観客もこれほどの景色を目にすることはできないだろう」
と書いたという、タオルミーナのギリシャ劇場に行ってきました。
今でも夏の6月〜9月の夜にコンサートやらオペラが上演されます。
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見晴らしのよい岩山をくりぬいて最初に建てられたのはギリシャ時代の紀元前3世紀、
今ある姿は、古代ローマ時代の1世紀末〜3世紀にかけて闘技場に改造されたものだそう。
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ということは、イエスキリストが生まれるずっとずっと前に生きていた古代の人々もここに集まり、この景色を見ていたんだなあ。
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どの角度から見ても絶景。
特にエトナ山と海を背景にする景色はため息が出るほど美しい。
ギリシャ時代にはどのような形で、
古代ローマ時代にどんな闘技が行われていたんだろう。。
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観客は5000人も収容できるそう。
そういえば、この劇場に近づくにつれて鳥の声がそれはそれは美しく澄んですぐ近くに聴こえる感じがしました。
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馬蹄型の客席は、銀河系や、原子モデルや、素粒子実験の加速器みたいでもある。
自然界の数学物理学的な美が無意識にか、もしかしたら意図的に表現されている。
世界でいろんな遺跡を見てきたけど、
古代の人々の自然観は全体的で調和的だなあと感じることがよくある。
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気が遠くなる時間の流れ。
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崩れた壁の向こうに見えるタオルミーナの街。
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劇場の外側からも、どこを見ても絶景。
こちらもタオルミーナの街。マチュピチュみたい。
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隣の岩山の上にあるお城も見えます。
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そのお城の近くから見たタオルミーナとギリシャ劇場。
岩をくりぬいて造られたというのがよくわかります。
しかし、今みたいな重機のない時代に、いったいどれだけの労力がかけられたんだろう。
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光と影の美しいこと!
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圧倒される青。   
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メッシーナまで続く海岸線。
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タオルミーナから海岸線まで行き来するフニクラ(ロープウェー)おもちゃみたい。
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ここでは、おもしろいことに、透き通るような鳥の鳴き声が体に沁みるように聴こえたり、
植物や素早く動き回るトカゲたちがとても近くに感じたりした。
そして、シチリアの大地と海に降り注ぐ太陽と海と空とエトナ山の絶景が堪能できる場所、
ここでゲーテがいたく感動したというのはなんかわかる気がして調べてみたら、
こんな素晴らしいことが書かれているページがありました。
(なんと、尊敬する発生学・自然哲学の三木成夫さんとゲーテの自然観に関して書かれている!)
少し引用させていただくと、
自然の法則に畏敬の念を持ち、「愛によってのみ、人は自然に近づく」 と言ったゲーテ。
”世界あるいは宇宙全体をあらしめている働き” =自然 =神 であり、
この神を用いた一節、「神の中に生き、動き、存在する」
というのは、ギリシャ詩人の詩の一節で、ゲーテは好んで引用したのだそう。
そして、ゲーテを敬愛してやまなかったシュヴァイツアーが、
ゲーテの使命は、「深く自然と結びつきながら、自分自身を、この上もなく豊かで高貴な自然の一片として、われわれにつたえるということにあった」
と書いているそう。
なんて美しいんだ。。
私にとってゲーテは文豪というよりもロマンチックな自然科学者。
彼の『色彩論』はシュタイナーが支持したように、ニュートン的な機械的科学ではなく
自然にはもっと神秘的で曖昧な深さがあること(現代物理学的でもある)がベースにあって、そこにやはり神(自然のはたらき)の美を感じるのだなあ。
そして、なんと、日本の人間国宝で染織家の志村ふくみさんが、
「ゲーテの『色彩論』は自然を読み解く最奥の書である」
と言ってらっしゃるではないか。
さらに調べてみたら、
ゲーテは、シチリアのパレルモでは植物園に通っては植物のメタモルフォーゼの考えを育んでいた!おお〜。
(これ読んでる方はなんだかよくわからない世界になってしまってると思われるかもですが、、)
私の中で、このギリシャ劇場を舞台に、
絶景ー自然ー神ーゲーテー鳥の鳴き声ー円形ー色彩環ー植物ー発生ートカゲーメタモルフォーゼ・・・ という宇宙の神秘が全部一緒に展開してさらには三木成夫さんや志村ふくみさんの芸術にまで広がるというすごい宇宙的展開になってしまったのです!うお〜なんという感動! これこそが愛だわ! 笑
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鳥たちは、ここで何を見ているんだろう。

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