ただ筒として在る 

(ほぼ自分メモ。ちょいオカルト? しかしもう毎日がこんな感じなんで(苦笑
最近、何かにつけて降りてくるメッセージ。

「もっともっと自身をゆだねなさい」

これは、主にエサレンやヨーガの時なんだけど、日常生活でもそうなんだなあ。
自分の意志によって社会的な役割や場所作りの土台ーステージはきちんと作る。
そのステージがきちんと設営、維持できたら、あとは、大きな力におまかせする。
「神の道具であれ」
"神"は、決して何も語らない。
(言葉の上で他に表現方法がないから神と書いているだけで、
自我の奥にあるもっと確実で揺るぎのないところ。
ただそこに在る、はかりしれない大きな存在)
そこからメッセージを聞いたりするのは自我の仕事。
しかし、自我のこの小さな、大切に思える(思う、考えるのは自我)仕事さえもなくしてゆきなさい、ただ動くに任せなさい。
意味を持たせるのもまた自我。
これら全てから自由になりなさい。
ただ、ノイズなく純粋に行為する。
例えば、包丁で野菜を刻むとき、ただ何も考えずに刻むだけのように。
海をみたことがない人に海を説明はできない。
広さ、深さ、香り、波の音、光。。
同じように、大いなる存在がどんなものか言葉で説明はできなくて、一人一人が体験するしかない。

ただ、それにもっとも近い状態が至福という状態で、
深いところから湧き上がってくるしあわせ感、あたたかさ、何ものにもとらわれない安堵感、平穏、わけもなく湧き上がってくる感謝、静かな幸福ーアーナンダーこれなら多少なりとも言葉で説明できて、そういうものは誰しも感じているはず。今、目の前のことや思考や感情でいっぱいいっぱいでそれを忘れてしまっていたとしても、ほんの一瞬でもふっと緩んだときに感じる空白、それに気がついていけばいいのだと思う。
それがわかるようになったら、その奥にあるものが、純粋で大いなる存在。
これを”神”という人もいる。
神の世界は至福でさえもなく、ただ純粋に在るだけ。
先月、何かと敏感な友人が私の施術部屋でその大きな存在に近いもの(実際には彼女の中で翻訳されたもの)を感じ取ってくれた。
大きな女性の姿の光のようなもので、何も語らずただそこにいるだけだと。
私は、多弁な”神様”は、自我のノイズだと思っているので、
何も語らない存在は本物のような気がする。
何も語りはしないけれども、身体には触れてくれる。
そして、私の自我はこう解釈した。
この存在にもっともっとゆだねなさい。
ただの道具になりなさい。
何かをしようとせず、ただ感じなさい。
私がそこに100%行きつけていないから、友人を通してメッセージをくれたのかもしれない。
そして、その大きな存在を導く仲介になってくれている方が、インドでお会いした聖者。
彼女と二人だけであった30分間はわけもわからない涙がずーっと流れっぱなしだった。

自身の魂の道をゆく。
少しブレたことをしようとしたらうまくいかない。
これはもう笑っちゃうくらいに顕著で。

その望みが自身のものなのか、他の誰かの価値観なのかを見極めること。
ただ純粋になる時間をもっと長くすること、
時々、たくさん笑う時間をもつこと。
これが私の日々の修練。
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すっかりサーフィンのホームポイントになったビーチへの通り道、
いつも蝶たちが軽々と舞っている。
しばし見とれていると、一匹が葉にとまってうごかない。
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スマホがくっつくくらい近づいても逃げない。
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光が差して、それはそれは美しかった。

Harmony

瞑想やヨーガのクラスでお伝えしている呼吸。
ゆっくりと、なめらかに、まるい円を描くような呼吸。
始まりも終わりもなく、
時間もなく、
ただ今があるのみ。

呼吸は、
酸素と二酸化炭素の交換でもあり
プラーナの動きでもあり
内と外をつなぐもの。
それは、生命の営みそのもの。

この営みをただ純粋に感じることで、
まるくなめらかな動きそのものになることで、
すべてが調和する。

調和が完全になったとき、
すべてがひとつ、そんな概念さえも消えてなくなる。
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静かな暮らし

何も語らないで、というより、

語らないほうが
本質で通じ合える
そんな人とのひととき。

年齢や、人種や、性別などに関係なく。
目指すところが同じで、
真摯な学びを続けているからこそ。

少しおしゃべりしては沈黙。
そのすきとおった静けさの心地よさ。
沈黙の幸福。

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今朝も朝陽が綺麗だった。

母が言うには、私は子どもの頃はちっとも喋らない、大事なことしか話さない静かな子だった。
社会に適応するため喋りすぎるくらい喋るようにになってひととおりのことを体験した今は
静かになりさないと、
人との出会いや
内側の声に導かれて行く場所で
その道を指し示される。
それがもう顕著で。

先日、思いもよらない場所でお会いしたボディーワークの大先輩の、
その生き方を物語るようなやわらかでふわふわとなにもかも受け入れてくれる手に触れていただいたとき、
すべてが溶けて理解でき、
すべてが報われた。
あのやわらかな手と慈悲に満ちた目を決して忘れぬよう、
何度も思い出しては私の全存在に刻む。

静かな日々の暮らしの満足。サントーシャ。
それが、より精妙な世界への扉なんだなぁ。

日々の満足。サントーシャ(知足)

今日の沖縄は雨。

数日前から小雨が続いて合間に少し晴れるという日が続いています。

今日は久しぶりに落ち着いて家にいる日。

サーフィン
エサレン
ヨーガ
私の中で、この3つの本質は同じ。
(究極、日常の行為すべての本質は同じなのだけど、、)

気付き アウェアネス
解放 リリース
調和 ハーモニー


母なる地球の一部である人、そのひとりひとりが肉体と精神ともに調和のとれた存在に戻り、
そういう人が増えれば増えるほど地球全体が調和へ向かい自然に美しい流れの中に在ることができる。
これが自分が何よりも望むこと。

自分は、ボディーワーカーであり(ボディーとはフィジカルなボディー&メンタルなボディー)
それは同時にアースワーカーなのだという確信があり、
(テレビ番組の制作の仕事〜自然や動物のドキュメンタリーや環境・科学番組もそれだった)
私はあくまでワーカー・施術者そして学ぶ者。

本物の治癒は、ひとりひとりの自身の中から起こるもので、
私は、刺激や知識や気づきの方向・方法を示す媒体としての役割を謙虚にやらせてもらっている。

先月あたりから、ありがたいことに、ほぼ毎日、このどれかができていて、
合間には、お渡しする資料(ヨーガのプライベートセッションのカルテや自宅での練習方法など)を作ったり、
マッサージや解剖学のビデオをみたり、
ヴェーダの講義を聴いたり、
サーフィンのビデオをみたり、
ごくたまに友人とカフェでランチしたり、
まだ行ったことのない場所を探検したり。

ささやかで静かな日常にとても満足しています。
これが、自分が本当にやりたかったこと。

書き留めておいたほうがいいなあと思う言葉もいろいろ出てはくるけど、
書き始めると、なんか違うな〜となってしまう言葉の限界。
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ここを抜けていくサーフスポット(沖合の海)は、
違う次元に入るポケットのような特別な場所。


そうか〜、世界中いろんな海でサーフィンしたけど
沖縄には、陸だけでなく海の中にも次元をワープできる場所があるんだ。。
どこも、ひっそりと、地元の人が守ってきてくれた場所。

静と動のコントラスト

台風24号はほんとうに凄い台風だった。
風の強さもだけれど、まる1日半続いた暴風。
被害はあちこちに出ていたけど、
沖縄だからこれくらいの被害ですんだのだろうと思う。

9月28日金曜日は午後からすでに強風、
夜は暴雨暴風になって寝られず、朝方にやっと2時間ほど睡眠。

29日土曜日、午前は雨漏りとの追っかけっこ。
たらいや傘やボウルを並べて一人コント状態w

午後1時すぎ、あれほどまでに狂ったような風が止んだ。
台風の目に入った。
ただ、静か。
停電しているのでノイズがない。車もまったく走っていない。
虫や鳥の声さえしない。
遠くからの海の音だけ。
そして、澄んだ空気。
この静けさは、まるで瞑想。
心と思考のノイズがあっさり消え去ったあとの静寂。
そこに景色はあるのに、すべてが透明。
台風の目の中、4時間近くの至福。

すぐにまた暴風が始まるかと思いきや、5時ごろまで静寂は続く。
なんと4時間近くも。
この静けさの中、うとうとした時の幸福感といったら。
それにしても、どれだけスピードの遅い台風なのか。
どれだけ大きい目の中に入っていたのか、、。


このあと、恐怖の吹き返しがやってきた。
台風の目の中の静寂のあとの吹き返しはダメ押しで特に危険。
駐車場がこの風の直撃を受ける場所にあるので、
並んだ車が揺れて今にも引きずられ飛ばされそう。
私の愛車は特に軽いのでぐわんぐわんと揺れてる・・・
大丈夫、大丈夫と言い聞かせる。
深夜、やっと暴風から強風へ変わった。
やっと過ぎてくれた。。
いちばん心配だった車も無事だった。
ほっとして深い眠りへ。

暴風域に入っていた間、
打ちつける大粒の雨、地鳴り、止まない隙間風の鋭いホイッスル音、狂ったように風に弄ばれている植物たち。。
ドアや窓が風圧で押されてにゴトンと鈍い音をたてるたびに全身が緊張するのがわかる。
こんな時こそ、ちゃんとヨーガのアーサナで体を動かしてみた。
いつもより集中できて、ものすごくスッキリ。
そして、ハラが坐る。
ヨーガって素晴らしい!と改めて思う。
そして、瞑想。
外が大荒れだからこそ
シッダーサナできちんと座り、
脊椎をまっすぐに伸ばし、呼吸に集中する。
まるい呼吸。
瞑想講座でもお伝えしているまるい、腹式呼吸。
鼻の下に意識を固定させる。
胸の呼吸では不安や恐れの感情に傾く。
胸を動かさない静かな腹式全体呼吸。
周囲が激しく動けば動くほどに、荒れるほどに、私は不動で静かに在る。
コントラストが強いほど、静寂はより静かで透明だ。
透明になるほどに、呼吸のリズムと風の波がシンクロしてひとつに溶け入る。
静かな確信。
吹き返しのピークの轟音ではさすがに車が飛ばされないかと動揺したけど、
そんな時だからこそ、自分がしっかりと大地とつながり、重石になるイメージ。
大丈夫という確信。
祈り。
祈りとは、透明な確信の中に在ること。

大荒れの外の世界と、静寂の内側。
この猛烈な台風は、この鮮やかなコントラストの体験をもたらしてくれた。
ああ生きててよかった。


日付変わって30日の朝。
塩水が吹き付けられた窓や車を洗いながら、お隣さんと無事を喜ぶ。
停電はしても水道がちゃんと使える。どれだけありがたいことか。
片付けと外回りの掃除をひととおりやって、ライカムに行ったら人でいっぱい。
中部は特に停電が多いから、充電している人も多かった。
行き帰り、信号がすべて消えていたけど、
皆、ゆずりあって車もスムーズに流れていた。

安堵の夜。
知事選はどうなったかなと思って、インターネットの開票中継をみたら、
ちょうど、玉城デニーさんが全身で喜びのカチャーシーを踊っていた時だった。
なんか、、思わず涙が出た。
あれほどの台風に耐え、自然を甘く見ず身を守り
中央の傲慢にはなびかない。
やさしくて、強い人たち。
やっぱり、沖縄は、とくべつだ。
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停電の夜のキャンドル。
昔、友人からプレゼントしてもらったティファニーのもの。
宝石みたい。
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こっちも昔いただいたバカラの。さすが綺麗。

stillness

夜明け前の1時間は、ブラフマ時間。
人の活動だけでなくすべてがsubsideして源に近い静けさの中。

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しばしの間、ここにあるものすべてが淡いバラ色に染まる。
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ただ風がそよいでいて、静か。
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まっすぐ立っているだけで脊椎が内側から伸びて拡張してゆく。
すべてが完璧なハーモニーの中。

人は毎朝、生まれ変わる。
調和だけがあり、
にごりなく、
すがすがしさとはちょっと違う、
ただ安らか。

台風一過

朝方は爆睡してて大雨が降ったのに気がつかなかった。
昼頃からは清々しい風、出来ては消えながら流れる雲。
さわさわと草が揺れる音。
雨と風の恵み。
なんという清々しさ。

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午前中、瞑想アプリにある美しいチェロの演奏を聴きながら、この世界の美しさを想った。

過去を思うことはもうほとんどなくなったけど、たまに湧いてくる痛み。
人としてこの世界に生を受けた以上、後悔のない人生はないと思う。
表面的なポジティブでごまかすことをしないで、それに向き合う。
きちんと向き合った人だけがわかる感覚。
慈悲の心。

家族との日常のやりとりや仕事の時間にはそんなことも言っていられないけど、
ふと訪れる隙間に湧いてくるもの、それに気付き、誤魔化さない。


きちんと向き合うってどういうこと?

いくら外側に答えを探しても見つかることはない。
無理に答えを出す必要もない。
自然に消えてはまた現れる。
その過程に気付いていること。
心は物語を作るのが大好き。
それが痛みであろうとよろこびであろうと区別なく、
物語を作ってはそこにとどまろうとする。
なぜ?その方が楽だから。エゴが生き延びられるから。
これが執着のひとつのかたち。

この執着に気付くと、突然、謎が解けた感覚になる。
自分を囚われの身にしていたのは自分だと気付く。

突然な感じがするのは、流れ込んでくるエネルギー量が大きいから。
気付くことで大容量のスイッチがオンになる。
突然の幸福感や流れる涙。

大容量でなくても小さなスイッチが日々オンになっていればおだやかでいられる。
気づきの練習が、瞑想へのプロセス。

今、元気なうちは先のことと思うかもしれないけれど、
いつかは向き合う時が来る。
今世を終える時かもしれないし、次の生かまたその次の生か。

たまにはそんなことに思いを巡らせてみるのもいいかも。

今帰仁でヨーガ瞑想

水曜日は、ご縁をいただいた今帰仁のノロ殿内でヨーガ瞑想の講座をやらせていただきました。

集まってくださったみなさんが、とてもきれいな心と目で
とても真摯に受けてくださり、嬉しく、ありがたく感謝でいっぱいです。
私もますます襟をただして学びを深めていきたいと改めて思いました。
ヨーガは、宗教に関係ない、ユニバーサルでニュートラルな科学です。
体、心、エネルギー、意識を理論的に説明でき、
そして体験して腑に落とすことができる。
そして、その人の体験のレベルにあわせた理解を重ねて、
螺旋を描くように登っていく道。
この道に興味を持ってもらえる嬉しさ。

すでに内なる神、純粋意識としっかり繋がっている人でも、
いや、そういう人ほど謙虚で素直で人の話を聞く態度を持ちあわせている。
一流の人ほど、品格のある人ほどそうです。
これは、私がテレビ局時代に日本のトップ、世界のトップの人たちとお仕事させてもらった経験から言える確かなこと。

今帰仁のしあわせのお福分けさんが、この日のことをブログに書いてくださっています。
そして、
こちら も!

お福分けさんも、生まれ高い方なのにものすごく謙虚でいらっしゃる。
私もまだまだ学ばせていただくことばかり。
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今帰仁の空気はきれいだな〜。

今帰仁にて、瞑想ワークショップのお知らせ

(HPの方でもひっそりとお知らせしてますが、こちらでも)


直前になりましたが、ヨーガ瞑想ワークショップのお知らせです。

※少人数での開催のため、告知はしていませんでしたが、

もし、ピンときて参加されたいという方がいらっしゃいましたらご連絡ください。

日時:6月6日(水)午前10:00〜13:00 

場所:今帰仁ノロ殿内

内容:瞑想講座でお伝えしている内容のダイジェストとシンプルな瞑想体験。

   前半は、カフェスペースで講座、

   そのあと、敷地内にある神聖な木、龍眼の木の下で瞑想をします。

今年に入り、ふしぎとしか言いようがないお導きで、

畏れ多くも、今帰仁城跡のふもとにある参拝所「今帰仁ノロ殿内」にて

ヨーガ瞑想をさせていただくご縁をいただきました

こちらにお住いの今帰仁の歴代ノロさんは、琉球王国時代より今に至るまで

五穀豊穣、子孫繁栄、平和な日々であるよう祈りを続けていらっしゃいます。

それは並のことではありません。

そのような神聖な場でやらせていただく瞑想。

いっそう心してやらせていただきます。


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こちらにいらっしゃる龍神様、

そして日々祈りを捧げられこの場所を維持していらっしゃる方々に心から深く感謝です。

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静けさを慈しむ

ヒマラヤの聖者スワミ・ラマの言葉

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”目を閉じなさい。
そうすれば、はっきりと見えてくるでしょう。

聞くのをやめなさい。
そうすれば、真実が聞こえてくるでしょう。

静まりなさい。
そうすれば、ハートが歌いだすでしょう。

つながりを求めるのをやめなさい。
そうすれば、調和のなかでひとつになってゆくでしょう。

静かに立ち止まりなさい。
そうすれば、魂の波とともにいられるでしょう。

やさしくありなさい。
そうすれば、強さは要らなくなります。

忍耐強くなりなさい。
そうすれば、すべてを得るでしょう。

謙虚でありなさい。
そうすれば、あなたは全体としていられるでしょう。”


スワミジは沁みることを言ってくださっているのだけれど
ひとつひとつの英語がシンプルなだけに意味が深くて
日本語にするとニュアンスが限定されてしまってそのままを伝えられないのだなあ。。
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