那覇にて、ヨーガのレギュラークラス再開します。

沖縄のみなさん、
観光でいらっしゃるみなさん、
長らくおやすみしておりましたが、ヨガのレギュラークラスを再開します。

場所は、いつもお世話になっているRyukyuホリスティック・ラボさん。
那覇の奥武山公園のすぐ近く、
空港からもモノレールですぐです。

少人数で丁寧に指導いたします(^^)
お気軽にいらしてくださいね。
詳しくはこちらを。
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光が入る、海沿いの明るいスタジオです(^^)
入り口がわかりにくいかもしれませんが、
奥武山自動車商会さんのビルの2階です。
外階段で2階までお越しくださいませ💗

あたりまえの幸福

あたりまえなことがつまらないのは、そこに感謝がないから。

感謝があったら、あたりまえなことこそが幸福だとわかる。
一見、あたりまえにみえることに「おかげさま」が言える人は幸せな人。
(以前、久米島の友人が、あたりまえの逆はおかげさまって言ってた。)


ちなみに、「おかげさま」「ありがとう」は深いところから自然と湧いてくるもの。
ありがとう感謝してますと唱えましょうと言われて唱えるような表層的なものとは違います。


あたりまえを見ずして刺激ばかりを求める。
これは一種の中毒。
その中毒に気がついてない。
最近、”目覚めた” ”解放された” ”人目を気にせず好きなことをやってる” 人たちにありがちな感じがするなあ。
目覚めハイ、覚醒ハイ、みたいな。
ハイになるものは本物ではない。
本物ではないという意味は、
ハイがあればローもあって、のちに、必ず苦が訪れるということ。
これが自然の法則。
引き寄せとか、わかった”つもり”になってると犯しがち。
それに巻き込まれないように注意したほうがいいと思うけど、
まあ、そういう経験をしたい人たちはいっぱいいるから経験したらいいんではないでしょうか。

じゃあなんでこんなことを書くかというと、
たとえ少数でも、気がついて遠回りをする(苦を味わってやっと理解する)人が減ってくれたらなあと思うから。


ヨーガスートラⅡ-3,4,5にそれに関することがはっきりと書かれてます。
苦悩(過去現在未来にかかわらず)の原因は、無知、私という感覚(エゴみたいなもの)、愛着、憎悪、生への執着。
その中でも、『無知』はそれらの土壌となるもの。
無知とは、一時的なものを永遠と、不浄なものを浄と、苦を快と、本当の自分でないものを本当の自分とみなしてしまうこと。
(・・・ってな感じでまだまだ続く)



ではどうしたらその判断ができるか。
そのひとつが、瞑想で、観察する知性(心ではなく、知性)を優位に立たせる練習をすること。



もしくは、、苦を味わってどん底まで行って気づいて這い上がった後に、中庸を目指すか。
しかし、どんだけ苦を味わってもまだまだ気づかずに、
上がった時のハイの快を感じたくて、再び自ら苦を作り出してゆく。
これはかなりな中毒症状。
まあ、またこれも、本人が経験したくてやっていることなんでしょう。

その末に、なんのために生まれてきたのか、
そして、自分の本質に気づくことになるんだと思います。

人それぞれの道。
自分はどの道を行くのか。
どう在りたいのか。


と、ぐるぐると繰り返しになってきたところで、本日はこの辺で。

みなさま、素的な旧正月をお迎えくださいheart01

5月も終わり、サマディー。

ますます夏っぽくなってきたシチリア。
平日でも午前中からビーチでのんびりっていう家族も増えてきました。

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そして、前と同じように足の裏をさざ波につけてる美しいシニョリーナとシニョーラ。
こうやって一人の時間を楽しむ大人な人たちも結構います。
ジャルディーニの中心部の賑やかなところはパラソルやベッドが並んでるんだけど、こっち側(サンジョバンニからタオルミーナ寄りの方)は人を気にすることもなく居心地いいんだな〜。真夏はもっと混んでくるかもで、もしかしたら今がいちばんいい季節なのかも。
さて、今、ジャカランダの紫色の花が盛りをむかえています。
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カターニヤの通りのジャカランダ。
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ブーゲンビリアの赤やピンクもものすごく鮮やかで綺麗なんだけど、この紫がまたなんとも美しい。
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真ん中の雄しべがふわふわしてる。


そして、2週間通ったカターニヤのアイアンガーヨガのクラスも今日でおしまい。
ほぼ毎日アイアンガーのクラスにで出てたら体の癖がメキメキと矯正されてすごく清々しい。
そしてイタリア語でのインストラクションも結構わかるようになってきて(身体部位のイタリア語ってなんだかよくわからんけど身体が理解する感じ)ますます面白くなってきたところで今回はおしまい。
今日は私が最後ということでヴィニヤサも入れてくれた。
また必ず戻ってこよう。
そして、ユージの先生でもあるフィレンツェのガブリエラのクラスに行ってみるといいよって言われたので、次回はフィレンツェも行ってみたいな。
私のヨガのベースはクリシュナマチャリアの伝統ヨガだけど、生徒として行くクラスはアイアンガーがやっぱりいちばん信頼できるから、できる限り続けていきたいと強く思ったのでした。
そして世界のあちこちで、こうやってきちんとしたクラスが受けられるのって本当に本当にありがたいこと。


なぜなら、ヨガの境地をきちんと体感している指導者のもとで修練を行うことでは信頼とともにその状態を体験することができるから。
今日も、キッツーいアサナをホールドしている時に、ふっとサマディーが訪れた。
身体を使って、身体を超える(身体感覚がなくなる)ことが可能になるんです。

Yoga Sūtra 1-2
yogaśg citta vṛtti nirodhaḥ
ヨガとは、心の動きの止滅です。
ヨガとは、一切の曇りなく心を一点に向かわせ続けられる心の能力でもあります。

Yoga Sūtra 1-3
tadā draṣṭuḥ svarūpe 'vasthānam
その時、プルシャ(真我)はその本性にとどまります。
ヨガの境地では、明晰さとともにすべてをありのままに見ることができます。

Yoga Sūtra 1-4
vṛtti sārūpyam itaratra
ヨガの境地でない時は、心の動きとプルシャ(真我)が混同されてしまっています。
※心は、本当の自分(プルシャ(真我))ではなく、個人を構成する一要素にすぎません。

Yoga Sūtra 1-12
abhāsa vairāgyaābhyāṃ tannirodhaḥ
内的修練と無執着により、心の動きは静かになります。

Yoga Sūtra 1-13
tatra sthitau yatno 'bhyāsaḥ
心が静まった状態に留まる不断の努力が内的修練です。
※アサナのプラクティスでは、身体を道具として使い、この心の状態を維持するよう努力します。これがヨガと他の運動の大きな違いで、このクオリティーがあるものがヨガと言えます。

Yoga Sūtra 1-14
sa tu dīrghakarā nairantarya satkārādarāsevito dṛḍhabhūmiḥ
この内的修練は、長い間たゆむことなく、真摯に実践されることで堅固に根付きます。

Yoga Sūtra 1-15
dṛṣtānuśra vika visaya vitṛṣṇasya vasīkārasaṃjñā viarāgyam
無執着とは、見たり聞いたりした対象に無欲になった人の自己統制の意識です。
正しい修練を続けることで、煩わしさから自由になってゆくのです。

Yoga Sūtra 1-18
virāma pratyayābhyāsa pūrvaḥ saṃskāra śeṣo 'nyaḥ
内的修練を重ねた後に、想念が消え、微細な印象(記憶)だけが残った境地(アサンプラジャータサマディー)が訪れます。

Yoga Sūtra 1-19
bhava pratyayo videha prakṛtilayānām
身体感覚を超越し、真我が心に溶け込んだ人にはその先のサマディーが訪れます。
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ジャルディーニに帰って、夕方、海を見ながらのジェラートは至福の時なのでござる。
これもまた別の意味でのサマディーか?(笑

変わっていく世界

エックハルト・トールは、今、世界で生きてる人の中でいちばんわかりやすく「真理」を説明してくれてる人なんじゃないかと思う。
この淡々としてて可愛らしい小動物っぽい感じが大好き。
んで、この動画の最後に淡々とパンチのあることおっしゃっておって笑ってもうた。
私も彼の本『ニューアース』を発売すぐに買ったんだけど
心身ともに忙しくて内容も理解できてないまま本棚に置いてあった。
そして、一昨年のオーロビルでの瞑想や去年のラマナアシュラムでの瞑想、ヴィッパサナー瞑想、そしてヨガスートラの学びを続けたあとで読んだら、(もちろん日々の瞑想は基本)、めっちゃ納得腑に落ちるの連続で面白くて一晩で読めてしまった。


話は違うけど、
神って何?っていうのの説明もわかりやすい!
(説明できないって意味で)
それから、13歳でフリーエネルギーの装置を作っちゃったと話題になったマックス君の語る神も説明も面白い。
量子論と現代物理で、言葉を使って説明するのはこれが精一杯なのかもなあ。
私は神様は自然だと思ってる。
自然って言うと山や海は森や、、ってイメージがあるかもしれないけれど、そういう目に見える触れられる物質の意味ではなくて、それを構成している波動エネルギーみたいなもののベースにある法則という意味での自然という意味で、自然意識と言ってもいいけど、これは全宇宙の内外にあまねく存在している。もちろん個々の内にも。
そして100%の調和とこの上ない美しさがある(とというか、それも超えてるな。。)

さておき、こうやって宗教ではなく神やら真理やらについて語る人たちが
今は本当にたくさん表に出てきていて(結局は皆がほぼ同じことを言ってる)
実際に出会ったりもするし、面白い時代になってるなあと日々実感中。

夜明け

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今朝も朝日が静かに力強い光を放ちながらのぼってきました。
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夜の間に意識が自分自身の源に戻り、
夜明けとともにまたこの現実世界に目を覚ますふしぎ。
この時の清々しい心の状態を維持できればこの世は天国だな。



Yoga sūtra Ⅳ-12
atītānaāgatam svarūpatataḥ asti adhvabhedāddharmāṇām
過去のものも未来のものも、常にそれ自身の本性として潜んで存在している。
道の方向により現れるものが違ってくる。
 

カターニヤのアイアンガーヨガ

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カターニヤにはいくつかヨガスタジオがあって、そのうちのひとつ、アイアンガーヨガのクラスに今週からほぼ毎日通っております。(このビルの中にスタジオがある)
自分でアサナの練習をしていてもつい甘くなってしまうし、
やっぱりスタジオできちんと指導を受けると心身の集中具合がまったく違う。
そして、何より、信頼できるアイアンガーを教えてくれるなんて、なんてラッキー。
他のスタイルは、もちろん指導者の皆さんはきちんと教えるトレーニングを受けて指導している人がほとんどだろうけど、
(日本ではヨガと言ってもヨガの哲学の勉強や教えるトレーニングもしないでポーズだけできるだけでクラスをやってる人たちもいて一度そういうのに出てみたら、なんちゃって具合がひどかった。そういうのもたくさんあるのが現実。。)
そんななか(くらべるのも失礼だけど)、正式なアイアンガーヨガは世界中どこに行っても信頼できる。
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スタジオは、その名もYAMANIYAMA。さらに信頼できそう。
そして、すべてのプロップと壁のフックが揃っている新しくてめちゃくちゃ綺麗なスタジオ!
指導者のユージ(ローマ生まれ)は中級指導者で、イタリアアイアンガーヨガ協会の審査員委員の副会長もやっている。
これってヨガやってない人にはなんのこっちゃだろうけど、すごいこと。
アイアンガーの正式指導者になるには最低3年間のレギュラープラクティスをやって、やっと指導者のコースを取ることができ(これがすごく厳しい)、それも3年やって試験に合格して初めて初級指導者の認定がとれ、その後も1年に一回はインドのセンターでブラッシュアップしないというシステム。
だから未熟な自己解釈のヨガにならず、きちんと伝統も受け継がれている。
タパス(絶え間ない訓練)とスワディヤーヤ(自省)とイシュヴァラプラニダーナ(大いなるものへの謙虚な帰依)があってヨガですよ、というパタンジャリの教えがきちんと守られてる。
これは本当にありがたいこと。
何より、この経験から得られる心身そしてそれよりも深みにあるものに満たされる感覚はまさに生きている喜びと祝福。
そして先生は、私がインドのクリシュナマチャリアの学校で学んでいると言うと、とても喜んでリスペクトしてくれた。嬉しいな。
クリシュナマチャリアの学校も3年かけて卒業してやっとグループの指導の許可が出る。
個人レッスンをやってもいいのは、またその先の訓練を受けてから。
さて、私が行ってるクラスは、生徒はだいたい10人前後、みな、真剣に学んでる人たちで美しい。
指導はイタリア語。90%わからなくてすごーくもったいないんだけど、両脇にレベルの高い人を配置してくれて彼らの筋肉や骨の動きを見ながらでき、先生はアジャストしながら時々英語で言ってくれる。
今年はハワイで3ヶ月間毎週3回アイアンガーのクラスをとってたので(ハワイでの先生も中級指導者)動きや意識の持っていき方はこういうことだろうなと想像しながら、
そして自分の中でスティラ&スッカム(安定と快適さ)を見つけながらアサナする訓練も兼ねて半秒遅れながらついていってる。
パスタとジェラートで緩んだ体をビシビシと絞められてる感覚、きつ〜いけど嬉しい。
そして、先生ユージの、表情をピクリとも動かさずに指導する厳しい空気、
サトヴィック(ピュアでクリーン)なエネルギー、
そして、ふわふわしていない本物の愛が感じられて、
ああヨガって素晴らしいと感じさせてもらってます。
アイアンガーの指導者にもやっぱりいろんな方がいるけど、ユージは本物の先生だ。
しかし毎回どこかしらが筋肉痛。。
インドに行くまであと10日ちょっと。
1日1日を大事に過ごしていこう。


Yoga Sutra Ⅱ-41
sattva-śuddhi saumanasya ikāgryendriyajayātma darśana yogya tvāni ca
内面のいらないものをそぎ落とすこと(内的浄化)、
明るい心持ち、
集中、
感覚をコントロールすること。
以上により、過去から積み重ねられた間違った認識から自由になり
自身の本性を見る力がもたらされる。

ヨーガスートラ旅

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今朝も大きな客船が沖にきた。
地中海はほとんど揺れなさそうだからクルーズも気持ちよさそう。
目の前の海は、ダイビングしてる人がいて、カヤックや漁師さんの小さな船が行き来し、潮が満ちては引いて、朝には太陽がのぼり、夜には月が照らす。
さて、ずっとやりたくて後伸ばしにしてた、サンスクリット語の自分用辞書作り、
やっと終わった。
パタンジャリのヨーガスートラの中で使われている言葉を全部網羅。
逆に、ヨガでよく使われているんだけどスートラの中にないものもわかる。
例えばチャクラとかクンダリーニとか。
原典ヨーガスートラから決してそれることのなかった私たちの先生の先生・クリシュナマチャリア師は、チャクラやクンダリーニにはほとんど触れることなかったそう。
クンダリーニは無理やり起こすものではないと言われていたと。
スートラに忠実に修練を続ければそういうものは自然とついてくるからなんだろうな。
人間全体(目に見える姿も目に見えないものも全部)がホリスティックに成長したところで、そういうものはやってくるということなんだろうと思う。
何にプライオリティーをおくのか、
目的からそれていないか、
それがとても大事。
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そして、今回、一通りの辞書作りを終わって、壮大な旅をしてきた感がひしひしとある。
人の心のしくみから苦悩の原因、その解決方法、そして人間の本性、
果ては超能力にいたるまでクールに書かれてて、
五感を超えた微細な世界から宇宙まで旅したような(大げさ、、でもないのねこれが 笑
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インドの学校KYMの中庭にあるパタンジャリ先生。美しい。
そしてみんなに愛されてる。
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大好きなハワイのOpenSpaceYogaのスタジオにあるパタンジャリ先生。こっちは愛らしい。
そういえばOpenSpaceのティーチャートレーニングの教科本のひとつが
クリシュナマチャリア師の息子のデシカチャー師(私たちの師の師でもある)の
Heart of Yogaなのも偶然ではないんだなあ。
アサナのクラスでも、アサナはマインドを鎮めて高いレベルの集中のためというインストラクションや、アドヴァイタ(非二元、自分の本質に戻ること)の話を入れる先生が増えてきたし。
Yogaとは何かという本質から離れないところで学ぶことができてる幸せ。
そして、最近ふつうに聞くようになったマインドフルネスや、
みんなが(誰よ?笑)大好きな引き寄せの法則なんかの本質も書かれてる。
私が半世紀生きてきた中で、引き寄せもシンクロも当たり前のようにあったけど
スートラをきちんと学んで瞑想をするようになってからそれが加速してる。
他にも表現できない不思議がこともいろいろあるんだけど。

そういえば、これ、KYMの若手でめちゃめちゃ聡明な先生ニルッティアがくれた
ヨーガスートラの体系まとめ。
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まさに宝の地図!
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世界そして自身を理解することが何より快感なのだわあ。
そして、その先にどういう世界があるのかというと、
それは誰も言葉では説明のできない世界。
計り知れない静けさ、静寂とともにあるもの。
それを体験すると(私は行ったり来たり)、なんとか言葉で伝えられないかと、
その境地にとどまることのできている人たちの本を読んだりビデオを見てみたり。
大好きなエックハルト・トールのこの説明がわかりやすいかな。。
瞑想や自然の中で、心が静かになって感情の波や身体感覚がなくなった時に
ふとこの瞬間が訪れるのを体験している人もいると思う。
そこにいつでも意図的に行けるよう、ずっとそこから離れないよう
なんやかんやと試しているわけです。
なんのために?
至福があるから?
・・・これは副産物ではあるんだけど、、
うーん、実はなんのためとかそういうものもないんだよなあ。
そういう設定自体が二元(分離がある)なわけで。
ほんとうのワンネスにはそれがないわけで。

グッドウイル♪

今日のダイアナのクラスもよかったなあ。

脊椎の精妙なカーブ、部分部分を意識して徹底的に脊椎をニュートラルな状態(本来のカーブ)に戻して動く。
最後のシャバアサナでは、脊椎が内側からunwinding(日本語では、巻き戻す・解く・寛がせる)するのが感じられ、自然な、癖のない状態へ戻ってゆくなんとも心地のよい感覚。
いや〜素晴らしい。


今日のお弁当。
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ベーグルのクリームチーズサンドとスプラウトのサンドイッチ。
ポットにお湯持参でカップスープ、コーヒー。
カピオラニ公園の大きな木の下のピクニックテーブルで。
あー気持ちいいな〜。
買って食べるものも美味しいんだけど、使い捨てのプラ容器に入ってるのがどうしても好きになれないんだなあ。
自分丁寧に扱っていない気がして。

お湯を持ち運ぶサーモスは、グッッドウイルで発見。
実家から持ってきた茶色のとちょうどお揃いのがあってなんとも嬉しい♪
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カイムキのグッドウイル。
ハワイで一番好きなお店かも!笑
置いてあるものは、全て中古で寄付されたもの。
洋服など身につけるもの、本、キッチン用品など、一通りの生活用品が揃ってて
みんな程よく使い古されたもので、人によってはガラクタにしか見えないかもしれないけど、私には、それがいいんだなあ。
ここやカハラモールにドロップステーションがあって、
私も旅の終わりに必要なくなったものはここに寄付していきます。
そして、売上は、職のない人に雇用の機会を作ったり、職業トレーニングに使われたりしています。
掘り出し物を見つける楽しさと、人々の日々の暮らしやその物たちのストーリーが想像できて、それがなんともほっこりする。
物は捨てられるものではなく、大事にされるものっていう感覚がある人たちが寄付し、
それを生かそうとする人たちの手で整理され売られているものたちだから、
ファッション的にはどうなのよ?ってなものも逆にかわいく見えちゃう。
ちなみに、ヨガで着てる服はほぼ全てここで調達してます。

深化

一日一日、朝、鳥の声で目が覚めて、世界が起動する。

(深い眠りの時、マインドの動きがまったく消えているときに夜が明けると
鳥たちの声が自分の内側から響いてくるほど)
今日もさわやかで穏やかな朝。
今日のヨガのクラスは何年も通い続けているダイアナのクラス。
毎年、久しぶりに来るたびに深化し続けている大好きな先生。
どんどん、身体、アサナを使って内側を探求する方向へ行ってる。
今日は、骨の三層にフォーカス。
骨膜(periosteum)、緻密骨(compact bone)、骨髄(marrow)を意識して感じて、
そこからアサナの動きをはじめるという初めての感覚。
筋膜を意識するインストラクションはよくあるようになったけど、
骨膜を感じるとは! 
繊細に、ゆっくりと、正確に。
・・・やってみてこれがびっくり、筋膜を意識するよりもやりやすかった。
今までにないfluidity - 滑らかさ、そしてプラナのスムーズな流れを感じ
筋肉も、ストレッチしている感覚がなくスルスルと伸びる感覚で驚き。
もちろんダイアナのインストラクションがとてもスムーズで、
すごくよく練られたシークエンスなんだからなんだけど。


さらに、この身体構造の内側の探索は、
同時に意識の内側の探索にもなっていき、
気がつくと、身体を使いながら、身体を超えたところの静けさにアクセスしている。
あらためて、心のあり方が身体を変えて、身体が意識の状態を変えていくことに感動。

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進捗状況(ほぼ自分メモ。。

ハワイ生活約1か月。

毎日欠かさずヨガのクラスに行って、無になる純度が増してきたのを実感。
特に、アサナは内なるおおいなものとつながるということを
頭ではなく存在全体ではっきり理解してる先生のクラスでは、
繰り返しの動きの中でどんどん内が静まって、
『この身体は私ではない(というか、誰のものとかそういう概念がなくなる)。
私は世界の内にあり、世界は私の内にある』
という状態に努力なしに入れるようになってきた。
・・・ほんとは内も外も境界がないんだけど、、
そして、この状態に入っていることを感知してくれる先生が3人もいるありがたさ。


けど、まだ『身体は限度を知っているが、マインドは限度を知らない』ために
ちょっと無理して股関節が過伸展ぎみ、、で本日はクラスをお休み。
そして、カフナさんに行きなさいと言われていたKeaiwaヘイアウに行ってきました。
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薬草やマナ(精霊)の助けをかりてヒーリングを専門とするカフナ(神官、祈祷師)によって守られてきた古代の神殿跡。
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なんとも穏やかで清々しい気に満ちています。
着いた時は、草刈り作業の最中で、草刈り機の大きな音がするにもかかわらず静けさが満ちていました。
草刈りのおじさんが私に気づいて、
「休憩するからゆっくり過ごして」
と作業を中断してくれた。優しい。。。
神聖な場所なのでリスペクトしながらある場所に立つと、
いきなり世界が静まり視界が歪んで時間が止まった。
インドのオーロヴィルの大きなバニヤンの木の下に立った時と似てる。
足元から全身で、存在全体で、今いる場所と宇宙に何の隔たりもなくつながる場所。
偏りがなく全体的。
あ〜、この全体的な感じが深いところの治癒をもたらすんだなあ。
セドナのボルテックスみたいに、どこかのチャクラに強烈に働く場所もあるんだけど、
ここは全体。ホリスティック。だからヒーリングに使われてきたのか〜なるほどなるほど、と妙に納得(笑
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そして、このヘイアウの先の森の中はトレイルルートになっていて、進んでいくと
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こんな道や
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こんな道がだんだん狭くなり、
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まっすぐに伸びる大きな木々と草が茂る急斜面の細いトレイルがくねくねと続いています。
鳥たちがすぐ目の前に現れたり、大きな木が倒れて道をふさいでいたり、
うっとりする光が降りてきたり、はっとする景色が広がったり。
そして半分過ぎたくらいのところで、
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遠くの山々とハイウェイを見渡せる場所にが出現。
以前、このハイウェイを何度か通った時に、目の上に広がる山々のパノラマの中に入ってみたいなあ入ったらどんな感じがするんだろうって、いつか入ってみたいと思ってたけど、
こんな風に実現するなんてなんとも嬉しいサプライズ。
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この景色の神々しさは、、写真ではまったく、、、だけど、
山の神々はこうやって世界を見ているのかあ。。
やはりここでも、『私は世界の内にあり、世界は私の内にある』
自分も世界も融けてゆく。
そういえば、トレイルを歩いていると、どこかアルナチャラ山にも似ていて、
−1 + +1=∞ 破壊神シヴァ神のはたらきがまるで目に見えるよう。
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それをまるで象徴するように、この見晴らしのいい場所にオヒアレフアが。
オヒアは木の名前でレフアは花の名前。
オヒアとレフアはふたつでひとつ。
そして途中、私はこの人生でどれだけこういう風景の中に入ったことかと思い出し、
ハワイの他の島々、インド北部ヒマラヤ、ブラジルアマゾン、マダガスカル、ガラパゴス、ニュージーランド、屋久島、高野山、そして実家の近くの名もない山々の中。。
ああ、この地球では結局どこに行っても根底にあるのは同じことなんだなあ。
森の内に入って自分の内の森を歩きながら、
この人生でたどってきた記憶の道をさまよったり、それがふっと消えたり、
緑の美しさ鳥の声にうっとりしたり、マナーの悪い他のハイカーに気分を害したり・・・
現れては消えてゆくこの世界、心が作り出す世界は幻想、
私が私だと思っていたこの身体は宇宙に現れた現象のひとつであって私の本質ではないのだと、
やっとそういうもののとらえかたが定着してきたような。
ラマナマハルシ、ニサルガダッタマハラジ、Jクリシュナムルティー、パタンジャリが書き残し語って記録されたもの、そしてバガバッドギーターにアシュターヴァクラギーターが語る世界でわかる部分が増えてきたかな。。

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