本物に出会った時、

呼吸が静かに精妙に深く自身の中心に潜るような感覚になる。

ここ一週間、日々また新しい出会いがいくつか起こっているけれど、

そこにある共通する現象が、これ。
日々の瞑想や日常で、内なる澄んだ静寂に向かう癖(サンスカーラ)がもたらしてくれる気付き。

例えば、先日の大嶺先生のところに行った時も。
素晴らし作品を見せていただき、どんどん心が澄んでいった。
同時に、呼吸が細く長く精妙になる。
純粋意識に近い領域への静かなよろこびに満たされる。
それを敏感に感じてくださった先生がお声をかけてくださったんじゃないかと。

こういうことがよくおこる。

そして、誰かに、表面上は驚くような何かを指摘された時、
ひえ〜っと言いつつ、それを聞いた途端にどんどん深い静けさへと、
そして呼吸はとてもとてもゆっくりに潜ってゆく。
おそらく、それは真実なのでしょう。

何かに出会った時、浮ついた興奮を覚えたり
呼吸が早くなったりした時は本物ではないかもしれません。

まあ、それを本物と思って体験することも人生の選択ではあるけれど。
自分はもうこれは十分にやっったので卒業。


という、自分メモでした。

昨日の瞑想講座はテーマが呼吸。
単なる酸素と二酸化炭素の交換という意味ではない、もっともっと大きくて深い意味の呼吸。
拡大と収縮のサイクル。
宇宙が生まれて拡大してやがて収縮して源へとけてゆく、
人が生まれそしてまた精妙なるところに帰してゆく。
そのサイクルを私たちは日々、数万回繰り返している。
呼吸の秘密に気がつくことのおもしろさ。
ヨーガや瞑想講座で、これをお伝えすると、準備ができた人は深く納得される。

先日の、大嶺先生の、半分死んでいるという意味のひとつはこれでもある気がするなあ。
やはり、言葉では表現できない、あの目が語られたこと。

読谷のやちむん市、大嶺さん。

初めて行きました。

やちむん市も、読谷のやちむんの里も。

この里のいちばん奥にある大嶺實清さんの工房。
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実は、ベルシャ青の美しいお皿などは存じていたものの、
大嶺さんのことは存じ上げない不届きものでした。
どれほどすごい方かは少し調べただけでもわかるのでここでは説明不要ですね。
友人が、大嶺さんのシーサーを購入したと写真を見せてくれたので、実物をみてみたいと思い。。
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離れたところからみても迫力がすごい。
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近くで覗き込むと、、
あゝ ここに並ぶシーサーは命を削りながら作られたものに違いない。
ギャラリーやお庭に並べられらたお皿を眺めながら、どんどん引き込まれ感動していたら、なぜか、赤いニット帽の方がお声をかけてくださり、
そのお顔は一目で、うわ〜、この方が大嶺さんに違いない。

友人が購入したシーサーを見にきましたと言ったら、
あれにはね、久米島の土をかけてあるんだよと。
久米島は火山でできた島で、噴火のあと急速に冷えた岩石が今も残っていて、
それをかけて、真っ黒ではない独特の深みと渋い艶を出しているのだと教えてくださいました。

その後、シーサー購入した友人夫婦も到着して、しなし、というかかなり長い時間お話を聞かせてくださいました。
もう深すぎる話がたくさん。。

人のあり方について。
「自分」というのは「自」と「分」の文字。
これは、「自然」と「分ける」
すなわち、自分ー私という存在は、自然から分けられた存在。
自然の一部であるということ。
自然の一部でしかないということ。


茶道と出会ってから、人は、表面的には違って見えてもその実体に違いはないとわかるようになったと。

自分はもう半分死んでいるようなもんだと。
(ご病気とかそういうことではなく、、とてもお元気です。
これは深すぎて簡単には書けません。。)


養老孟司さんの本がとてもお好きで、とても同感できると。
養老さんと大嶺さん。
あゝ
私も養老先生としばしお仕事をさせていただいたのでわかる気がします。
本質を本質的に見、理解されている方同士の通じ合いだと。

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重く、力強く、ざらざらとした質感のお皿。
土の力をひしひしと感じる實清さんの作品。

他にも、
奈良県から出土する、とてもとても貴重な鉱石で新しい焼き物に挑戦されていること、
使うことで器を育てていくといいうことについて、
エジプトの青について、
などなど、貴重すぎるお話を、しばし聞かせていただいたのでした。

その間、私は大嶺さんのお顔を至近距離で食い入るように見ながら聞いていたのでコワかったに違いないけど、語る大嶺さんのお顔と目の深みは引き込まれないではいられない、それはそれは美しいものでした。
あゝ録音録画しておきたかった。
私の言葉ではその深みは伝えられるはずもなく。

家に帰ってから、購入したお皿に、ささっと作ったそうみんチャンプルーを乗せたら
ただのそうみんチャンプルーが宇宙になってびっくり。

屋上にて。

普段は鍵がかかっているマンションの屋上。
特別に解放してもらった。
住民の友人たちとふたご座流星群を見るために。
北側が深い谷の森になっているので、カエルの声もきこえてくる。

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ロウソクとランプのあかり。
ポットに入れたお湯で、あったかいゆずはちみつ湯。美味しい〜。
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マットを敷いて毛布にくるまり、3人がくっついて流れ星に大喜び。

昼間はあったかい沖縄も、夜は寒くなってきました。
こんなあったかさがたまりません。

新月のねがい

きちんと背筋をのばして座り、

静かに、

他のだれかではなく、
私自身の望みは何かと感じてみたら、

平穏で、
心あたたかく、
ハートに従い、
好きな人がいて、
不自由しないお金があって、
健康で、
よろこびと感謝と調和の中に。

そして、これらをちゃんと受けとれること。


・・・誰しもが願うことのようでありました(笑

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この日の果報バンタからの眺めは、格別に美しかった💖

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海のそばに行くと、
自然に体が深く息を吸って深呼吸。
おおきな海。ゆるぎない海。
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久々の西海岸。
東もいいけど西独特のオープンな感じ、いいな〜♪

しばらく風の強い日が続きそう。

また身長が伸びていた

先週、特定健診に行ったら、また身長が伸びてました(笑

173.3センチ。

30代までは172.5センチ。

40代の健診で173センチになっててびっくりした覚えがあるけど、

53歳でまた伸びていたとは。
こうなったら60歳で174センチ目指そうかな 笑

なぜに?
思い当たる要因は、ただひとつ。
ヨーガのシャバアサナと瞑想。
シャバアサナは仰向けになって屍のように寝るポーズ。
どっちも、とにかく脊椎をまっすぐに(自然なカーブはもちろん維持して)
長く伸びるアラインメントを徹底的にやってるからに違いない。
椎骨と椎骨の間のスペースがほんの少しづつ広がって、
以前の猫背で腰痛持ちの時に比べたら、まだまだ伸びる余地があったんだなあ。
脊椎がこうやって伸びると、胴体のお肉も自然と落ちて、
以前のボッコリ下腹部が小さくなったし、
体重も以前の60キロから58キロに減って安定してきてる。

シャバアサナは、今年のインドのアシュラムで徹底してやらされた。
ただ寝てリラックスするだけとは大違い。
きちんとしたアラインメントで徹底して本当にすごい効果がある。
シャバアサナがもっとも難しいポーズだと言われるには深い深い理由がある。
そして、これを徹底的にやる指導をしてくれた先生に感謝しかない。
ものすごい叡智のギフト。
私もヨーガのクラスの生徒さんたちや必要な人にお伝えしているけど、
毎日きちんとやる人はほとんどいないんだなあ。勿体無いなあ。。

毎日続けることって本当に大事。
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昨日、ライカムに行ったら、またまた護栄久先生のライブがちょうど始まるとこに遭遇!わーい!!!
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前回はちょっと離れたとこからみてたけど、今回はかなり前で見た(^0^)
でもまだ恥ずかしくて名刺をもらいに行けず。
次回こそは名刺もらうのだ(^^)

ただ筒として在る 

(ほぼ自分メモ。ちょいオカルト? しかしもう毎日がこんな感じなんで(苦笑
最近、何かにつけて降りてくるメッセージ。

「もっともっと自身をゆだねなさい」

これは、主にエサレンやヨーガの時なんだけど、日常生活でもそうなんだなあ。
自分の意志によって社会的な役割や場所作りの土台ーステージはきちんと作る。
そのステージがきちんと設営、維持できたら、あとは、大きな力におまかせする。
「神の道具であれ」
"神"は、決して何も語らない。
(言葉の上で他に表現方法がないから神と書いているだけで、
自我の奥にあるもっと確実で揺るぎのないところ。
ただそこに在る、はかりしれない大きな存在)
そこからメッセージを聞いたりするのは自我の仕事。
しかし、自我のこの小さな、大切に思える(思う、考えるのは自我)仕事さえもなくしてゆきなさい、ただ動くに任せなさい。
意味を持たせるのもまた自我。
これら全てから自由になりなさい。
ただ、ノイズなく純粋に行為する。
例えば、包丁で野菜を刻むとき、ただ何も考えずに刻むだけのように。
海をみたことがない人に海を説明はできない。
広さ、深さ、香り、波の音、光。。
同じように、大いなる存在がどんなものか言葉で説明はできなくて、一人一人が体験するしかない。

ただ、それにもっとも近い状態が至福という状態で、
深いところから湧き上がってくるしあわせ感、あたたかさ、何ものにもとらわれない安堵感、平穏、わけもなく湧き上がってくる感謝、静かな幸福ーアーナンダーこれなら多少なりとも言葉で説明できて、そういうものは誰しも感じているはず。今、目の前のことや思考や感情でいっぱいいっぱいでそれを忘れてしまっていたとしても、ほんの一瞬でもふっと緩んだときに感じる空白、それに気がついていけばいいのだと思う。
それがわかるようになったら、その奥にあるものが、純粋で大いなる存在。
これを”神”という人もいる。
神の世界は至福でさえもなく、ただ純粋に在るだけ。
先月、何かと敏感な友人が私の施術部屋でその大きな存在に近いもの(実際には彼女の中で翻訳されたもの)を感じ取ってくれた。
大きな女性の姿の光のようなもので、何も語らずただそこにいるだけだと。
私は、多弁な”神様”は、自我のノイズだと思っているので、
何も語らない存在は本物のような気がする。
何も語りはしないけれども、身体には触れてくれる。
そして、私の自我はこう解釈した。
この存在にもっともっとゆだねなさい。
ただの道具になりなさい。
何かをしようとせず、ただ感じなさい。
私がそこに100%行きつけていないから、友人を通してメッセージをくれたのかもしれない。
そして、その大きな存在を導く仲介になってくれている方が、インドでお会いした聖者。
彼女と二人だけであった30分間はわけもわからない涙がずーっと流れっぱなしだった。

自身の魂の道をゆく。
少しブレたことをしようとしたらうまくいかない。
これはもう笑っちゃうくらいに顕著で。

その望みが自身のものなのか、他の誰かの価値観なのかを見極めること。
ただ純粋になる時間をもっと長くすること、
時々、たくさん笑う時間をもつこと。
これが私の日々の修練。
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すっかりサーフィンのホームポイントになったビーチへの通り道、
いつも蝶たちが軽々と舞っている。
しばし見とれていると、一匹が葉にとまってうごかない。
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スマホがくっつくくらい近づいても逃げない。
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光が差して、それはそれは美しかった。

おはよう12月

12月になってしまった!(笑)

沖縄では昼間はまだ半袖、家の中ではタンクトップです。

毎朝の習慣。
起きてすぐ、朝日の入る部屋で瞑想、
丁寧に基本のアーサナを繰り返し、
命の動きそのものである呼吸の源とひとつになる。
魂に沿った道へ導いてくれる先達方、存在にめいっぱいの感謝。

毎日が違って、毎日が新しい。

みなさん、よい12月を(^^)
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施術部屋。
この部屋、とってもいい場所。
マッサージベッドは真北に向けてあります。
ここに寝ると、脊椎(シュシュムナ)がストレートに通り、ズキュンと源と繋がる感覚。
マトリックスでネオが椅子に寝て別次元に行くみたいな。
少しズレたなと思ったらここに寝ると修正される。
こんなことってあるんだ。。

人生はコメディーと思ってたけど、人生はSFだわ(^^)
おもしろい。

世界

目の前に広がる風景。
そこには、ただ、それがあるだけ。

私が住んでいるマンションは一階で、テラスの前は草っ原。
これを見て、
ある人は、「木や草が伸びているから刈らないとどんどん伸びて大変だな」と言い、
ある人は、「いろんな草が風にそよいで草原みたいだね。いつまでも見ていられるなあ」と言う。

物事のとらえ方って、ほんとうに人それぞれ。
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世の中にはたくさんの出来事があって、何を思おうが何をしようがそれらをぜーんぶひっくるめてしまえば世界は完璧なひとつ。
(これって、きっと、死ぬ時にはっきりとわかる感覚なのかな)

その中で何を見、何を感じるか、選択ひとつで、
まるで瞬間移動するみたいに別世界に行くことができる。

自分の心が作り出した世界ー幻想に捉われて不自由な思いをしているのなら、
まずはその仕組みに気付くことが楽になる一歩。
苦しみの最中にいる時には難しいかもだけど。

私は、日々、自分の思い込みに気付いて、”私劇場”、
禅で言うところの「末那(まな)世界」(自我を通してみる世界)
おもしろがってます(^^)
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朝、波チェックに行ったら、まだ明るい月をバックに鳥の集団が円を描いて飛んでいました。
気持ち良さそうだったな〜

つれづれ

さて、すっかり週一ペースのアップになっておりますが。。

今月に入って自分の中で様々なことが整理されてクリアになることで
魂に沿った、精査されたような出会いや気づきや発見が続いて、
ますます自分の方向付けがはっきりとし、
さらにシンプルになってきていて、
そうなればばるほどさらに必要なものと不必要なものがはっきりとわかって
他人に流されずに自分でいることの心地よさを体験すると
さらに、それを後押ししてくれるような出会いがある。
というシンプルスパイラルに入っている現在。
(と、自分メモです。。)

今までは気が乗らないお誘いも受けていたけれど、
何か違うなと思ったら気持ちよくお断りできるようになった。
食事で言えば、おかずの品数がいっぱいの食卓から、
ごはんとお味噌汁とほんの少しの野菜のつまみ、という食事へ。
友人がきた時の夕食もこんな感じ。
今は、実家の母が持ってきてくれた新米が美味しくて美味しくて。
実はこっちの方が深いところからの満足があって
ひとつひとつがありがたく、
体も心も軽く感じます。

食事といえば、今はすっかりヴィーガン。
ヴィーガンをすごーく楽しんでる友人に出会ったおかげもあるし、
日本ってヴィーガンな外食がまだまだ難しい国だと思うけど、
沖縄にはとっても美味しいヴィーガンのカフェやレストランがあちこちにあるので天国なのです。
そして、そのお店をやっているほとんどの人たちが、「菜食じゃなきゃいけない」とかいう思いではなく、大好きでやっているのでよけいにありがたいのです。

来月で、沖縄本島に来て1年。
7月に今のマンションに引っ越したことで足元とペースが落ち着いてきました。
あちこち移動の時期が長くて、それも楽しかったけど、落ち着いて何かできるのは深い部分が安心するなあ。

シンプル(ヨーガでいうサットヴァに近い)になればなるほど、
心の底で信じている現象が現れるものなんだなあ、と日々、実感。
シンクロや、全て導かれたような感じも至極ふつうに。

それを後押しするのは、何も起らない時期に、その時間を楽しむこと、かな。
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先週の満月の前からの数日は、毎晩、見惚れるクリアで美しい月が海から昇るのが続いて、
ある日は友人たちと笑い転げながら、
ある日は一人静かに、
ある日は大好きな人と、
いっぱいいっぱい愛でることができました。
自然の営みは、誰もが純粋に感じ入ることができる、おおきなおおきな恵み。
日々、太陽や月や海や星々や風とともに生きていると感じる暮らし。
ちいさくて、あたたかい暮らし。

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