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読谷のやちむん市、大嶺さん。

初めて行きました。

やちむん市も、読谷のやちむんの里も。

この里のいちばん奥にある大嶺實清さんの工房。
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実は、ベルシャ青の美しいお皿などは存じていたものの、
大嶺さんのことは存じ上げない不届きものでした。
どれほどすごい方かは少し調べただけでもわかるのでここでは説明不要ですね。
友人が、大嶺さんのシーサーを購入したと写真を見せてくれたので、実物をみてみたいと思い。。
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離れたところからみても迫力がすごい。
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近くで覗き込むと、、
あゝ ここに並ぶシーサーは命を削りながら作られたものに違いない。
ギャラリーやお庭に並べられらたお皿を眺めながら、どんどん引き込まれ感動していたら、なぜか、赤いニット帽の方がお声をかけてくださり、
そのお顔は一目で、うわ〜、この方が大嶺さんに違いない。

友人が購入したシーサーを見にきましたと言ったら、
あれにはね、久米島の土をかけてあるんだよと。
久米島は火山でできた島で、噴火のあと急速に冷えた岩石が今も残っていて、
それをかけて、真っ黒ではない独特の深みと渋い艶を出しているのだと教えてくださいました。

その後、シーサー購入した友人夫婦も到着して、しなし、というかかなり長い時間お話を聞かせてくださいました。
もう深すぎる話がたくさん。。

人のあり方について。
「自分」というのは「自」と「分」の文字。
これは、「自然」と「分ける」
すなわち、自分ー私という存在は、自然から分けられた存在。
自然の一部であるということ。
自然の一部でしかないということ。


茶道と出会ってから、人は、表面的には違って見えてもその実体に違いはないとわかるようになったと。

自分はもう半分死んでいるようなもんだと。
(ご病気とかそういうことではなく、、とてもお元気です。
これは深すぎて簡単には書けません。。)


養老孟司さんの本がとてもお好きで、とても同感できると。
養老さんと大嶺さん。
あゝ
私も養老先生としばしお仕事をさせていただいたのでわかる気がします。
本質を本質的に見、理解されている方同士の通じ合いだと。

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重く、力強く、ざらざらとした質感のお皿。
土の力をひしひしと感じる實清さんの作品。

他にも、
奈良県から出土する、とてもとても貴重な鉱石で新しい焼き物に挑戦されていること、
使うことで器を育てていくといいうことについて、
エジプトの青について、
などなど、貴重すぎるお話を、しばし聞かせていただいたのでした。

その間、私は大嶺さんのお顔を至近距離で食い入るように見ながら聞いていたのでコワかったに違いないけど、語る大嶺さんのお顔と目の深みは引き込まれないではいられない、それはそれは美しいものでした。
あゝ録音録画しておきたかった。
私の言葉ではその深みは伝えられるはずもなく。

家に帰ってから、購入したお皿に、ささっと作ったそうみんチャンプルーを乗せたら
ただのそうみんチャンプルーが宇宙になってびっくり。

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