しばらく不在にし、また、急にクラスをお休みすることにしてしまい、また連絡ができずご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。
今週の木曜9日より、再開します。
9日(木)は台風が通過の予定の日なので、風の様子をみつつ、可能な限りやりたいと思います。
月曜クラスは、13日(月)から再開します。
しばらくぶりになりますので、基礎の復習からまた丁寧にやっていけたらと思っています。
何卒よろしくお願いいたします。
最愛の、もっとも尊敬する父が、先週末に他界しました。
82歳の誕生日を迎えて5日後のことでした。
木曜の午後に実家から連絡をもらって、その日の深夜に駆けつけることができましたが、そのときには既に父の意識はなく、開いたままで剥製のように乾いた目の父の体はもやは痛みを感じていないと医師に言われ、それでも何か言うと反応してくれているようにな感じがして、もはや握り返してくれることもなくなった手を握りながら、最期のお別れを、私が父の娘でどれだけ幸せかを聞いてもらってまる一日、涙も涸れた頃、父の命の火は静かに消えてゆきました。
最期は、呼吸が途絶えがちになり、それでもあきらめることなく、生きたいと力をふりしぼるように時折大きな呼吸が戻ったりしながらも徐々にその力も弱くなってきた頃、全身に強い痙攣がおき、ああ、マイラの魂が音をたてて出て行った時と同じだ・・・もうその目に輝きが戻ることはないんだ・・・と覚悟しました。その後、徐々に父の肉体が機能を停止していくさまを見ることは、何かふしぎな感じでした。
最期の最期まであきらめず全身全霊で生きようとした父。
その姿をしっかりと見届けさせてもらいました。
息をひきとったあと、私も兄も涙が出ませんでした。
「ああ、もうこれで父は苦しまずにすむんだ。楽になるんだ」という思いが強かったのと、父の最後の、生きようとする闘いに圧倒されたからかもしれません。
悔いてはきりがないけれど、母も兄も義姉も私も、家族ひとりひとり全員が父のためにできることはしてきたこと、そして何より父が自ら壮絶ともいえる痛みに耐えながら三度も危篤になりながら復活しては、私たちが後悔することのないように時間を作ってくれたことに深く感謝し、あらためて父はすごい人だったのだと心の底から尊敬します。
医師が死亡の確認をし、左の胸に埋め込まれていたペースメーカーを取り出し、夜勤の看護士さんと二人で体をきれいにして着替え整えてくださり、そして葬儀やさんの車に乗せられて、念願の自宅に帰宅。父の顔に苦しみで深くきざまれていた眉間のしわはなくなり、次第に穏やかでやさしい仏様の顔になっていきました。
親戚の寝ずの手伝いや、弔問に来てくださったたくさんの方々に支えられ、葬儀場でのお通夜、お葬式を終えることができました。
役所への手続き等、ひととおり済ませ、床の間に位牌と遺骨を置いた祭壇のある座敷で家族でごろごろしながら、1歳半の姪っ子に「じいじはどこ?」と聞くと、最初は祭壇を指差しそのあと目線は天井へ、そして何度聞いても天井を指差すのでした。幼い姪っ子には父が天井から私たちを見ている姿が見えているのでしょう。
そういえば、危篤の電話をもらう前の晩、ウトウトしていたときに「なおちゃん、、」という、父が私を起こそうとするはっきりとした大きな声を聞きました。そのまま眠ってしまったけど、きっと父は私を呼びにきたんだと思います。
この半年間、父が病床にいる間も、不思議なことがいくつかあり、魂ってほんとうにあるんだなあと自然に思えるようになりました。
きっと今はまだ近くにいる父だけど、時が経ったらすべてのものから自由になり極楽浄土で安らかに暮らしてほしいと願います。
急に不在にすることでご迷惑ご心配をおかけしたみなさん、すみませんでした。
そして助けてくださったみなさんに、心から感謝します。ありがとうございました。
さてさて、いろいろありますが、life goes on。
命のある間は、生きててよかった!としみじみ感じられるように、悔いのないように人生の後半を生きていきたいと思います。
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